主人公の安堂清春は発達障害(特にASD)の裁判官。発達障害特有の異質さに苦悩している。清春の目を通して描かれているため、異質さは控えめな書き方。物語の最後の最後になって、実は周囲の人が清春を奇異な目で見ていたことがサラッと書かれている。最後はハッピーエンド。なんだかんだで受け入れられて認められ、これまでとは違う新な一歩を踏み出そうとするところで終わる。ほっとした。
でも、これは小説。現実はもっと厳しいと思う。小説では全く触れられていなかったが、カサンドラ症候群の問題もある。
現実と言えば、最近行った病院に清春と重なる医師がいた(個人の開業医)。
詳細は控えるが、まず病院に入った瞬間に違和感を感じた。ちゃんと診断してもらえるかどうか気になったが、やっぱりいいですとは言えなくて診てもらった。
診断は問題なく終わった。診察時のやり取りで感じたのは、医師は清春と同じで自分が他人からどのように見えるのかを理解して誤解されないように頑張っているということだった。例えば、医師の台詞は全てマニュアル化されていて棒読み状態のようだった。最初は心の中で苦笑したが、こちらの言う事を1つ1つ丁寧に聞いて返してくれる。慣れてくるとそれはそれでありな気がした。ロボット(最近だとChatGPT)と対話をしている感じで、こちらの話(入力)が終わると検索を開始して返事(考えられる最適解)を返すような感じだった。今回、私がお世話になったような簡単な診察をしてもらうのに問題はないと思った。それから、医師の話し方は若い人からみたら不自然で滑稽にうつるかもしれないけれど、高齢者とは相性が良いと思った。
家族のコミュニケーションで違和感を感じたときに「もしかして〇〇は発達障害グレー?」と思うことがあるけれど、清春や上に書いた医師とは程度が全く違う。
専門家から言わせると、「浅い理解で気安く発達障害って言うな!」ということになるのだろうが、何かの言い訳にしたり他人の同情をかおうなんては思ったことは一度もないので許してほしい。
作品の話に戻すと、ドラマにしやすい話なのでドラマ化すれば理解が深まると思った。同時に、登場人物への憧れや共感からファッション発達障害が増える危険もあると思った。
【ファッション発達障害について】
勤務時代の同僚に
「私、発達障害の毛があるんだよね~」
と言う人がいた。確かにそういうところがある人だったけど、満面の笑みで自己陶酔しながらたびたび言ってくるので対応に困った。彼女の場合は、幼稚さ・だらしなさ・至らなさの言い訳に加え、「私って可愛いでしょ、ウフ!」というニュアンスが含まれていた。中年おばさんなのにイタかった。
自己肯定感が高いのか低いのか、さっぱりわからない人だった。
幼稚なワルなのか処世術にたけている大人のかもわからない人だった。
色々思い出してしまったので、ネットで少し検索してみた。そうしたら「尊大型ASD」というのがヒットした。素人なのでこれ以上は発言を控える。