Beanの日記

徒然日記

『人生の壁』

『人生の壁』

人生の先輩の話はしみた。

 

 

【メモ】

・他人とつきあうけれども、過剰に気にしない

承認欲求が問題になるのは、都市で暮らす人が多いことも関係しているのでしょう。人口密度と密接な関係があります。

 都会にいると、どうしても人間関係のウエイト(重み)が大きくなります。でも、こちらが感じているほどに、向こうはこちらに重みを感じてくれないことは珍しくない。すると承認欲求が満たされなくなります。あるいは孤独を感じやすくなります

 人が少ないところに入れば、もっと他人のことを真剣に気にするようになります。人と出くわすのが貴重です。私も箱根の別荘に一人でいるときの方が、お客さんを歓迎したくなる。そういうものです。

 

・学生を上手に甘やかしていた時代

 私が若いころはまだ社会がきちんと学生を学生として扱っていたように思います。いい意味で社会が学生を甘やかしていた。これは子供を大事にしていたのと似ています。

 (中略)最近では、学生のうちから起業するのが偉いと認めるような風潮すらあります。大学生なのに社長をやっている人がヒエラルキーの一番上にいて、ただ勉強しておいるよりも立派であるかのように言われる。これも「早く大人になれ」という圧力の一種なのでしょう。

 しかし、学生のうちに甘やかされたからこそ、社会に出たらがんばろう、責任を持とうと考えるという面もあったのではないでしょうか。本来、エリート教育てゃそういうものでしょう

 

・世間は自分よりも先に存在している

 何歳になっても子どものようで、成熟しない人は困ったものです。(中略)

 こういう人の最大の問題点は、世の中を受け入れていないということです。当人たちは世の中が自分を受け入れてくれないことに不満を感じているかもしれません。(中略)

 「世間」には様々な決まりがある。ゲームのルールは先に決まっているという点も理解しなければならない。ところが、世間のルールを自分が決められないことに納得できない人が一定数います

 「俺に相談なく勝手に決めやがって」と言う。何をどう思おうが、どれだけ不満を抱こうが、自分よりも「世間」は先に存在している。この大前提は理解しておく必要があります。

 

 

・世の中で確かなものとは何だろう?

養老先生が理系を選択し、医学の中の解剖学にすすんだ理由は、世の中で確かなものを求めたから。

具体的には、敗戦を経験し、昨日まで絶対に正しいとされていたことが一転した。学校の教科書の扱いもそうだし、昨日まで大人が言っていたことは全部嘘になった。そういう経験からだとのこと。

 

 

・男子校

養老先生は神奈川県の栄光学園という男子の中高一貫校出身で女子との接点がない環境で育った。あまり、そちらにエネルギーを費やさなくてよかったな、と思っているそうです。ただ、女性に対して変なロマンチシズムが生まれやすい環境であったかもしれない、実際に身近にいない分、偶像化しやすい傾向にあったともいえると言っています。

 

 

・WEIRD (Western Educated Industrialized Rich Democracy)

 世界中が西洋文明を取り入れて、それに覆われるようになってしまいました。英米人自身それに気づいて、「WEIRD」なんて言葉を使っています。(中略)そういう人たちの価値観だというのです。この言葉は「奇妙な」といった意味も含むので、あえて使っているのでしょう。現在の科学技術と言うものは、基本的に西洋文明の枠を集めたものです。(中略)

 科学技術だけを純粋に取り入れておき、他のことは自分たちの流儀のまま、とはいきません。(中略)非西洋の社会にとっては、いつの間にか自部たちとは異なる価値観が入り込んできたのですから、戸惑ったり、ぶつかったりするのも当然です。

 

・日本は暴力支配の国だった

 言葉は悪いけれども、「暴力支配の伝統」があったということになります。(中略)欧米でも支配の背景に暴力、武力が存在しているという面はあるのですが、一方で、別の論理が機能していたのです。

 この点を指摘していたのが、評論家の山本七平さんでした。(中略)

 山本さんは、フィリピンで終戦を迎え、米軍の捕虜収容所に入れられます。(中略)欧米人の捕虜と日本人捕虜とでは異なる組織をつくっていたというのです。

 アングロサクソン系では機能的な組織がたちまちつくられた。一方で、日本では牢名主のような人がトップになり、それに子分がついて支配する組織がつくられた。ここで言う機能的とは、それぞれの捕虜の得意分野などをもとにして、組織全体がうまく回るように作られていたということです。専門家やビジネスマンが実行委員会を作り、警察、建設、風紀、給食、防火、教育等々、必要な委員会や部を設け、委員長などを選びました。そのようにして、狭い収容所の中に、一つの秩序を持った社会を作り上げました。驚くべきことに、秩序を守るための裁判所までつくったそうです。

 一方で、日本人は、要は力の強いものが支配する組織をつくったというのです。暴力試合の伝統が復活したということでしょう。(中略)

たしかに敗戦によって日本人から軍隊はなくなりました。平和ボケなどといわれるくらいに、きわめて”平和主義”的な国になったのです。

 しかし、では長年歴史上存在していた暴力支配の側面が消え失せてしまったか。戦前まであった性質がきれいに消えてしまったのか。そんなことはありません