Beanの日記

徒然日記

「私とは何か」

「私とは何か」

わかりやすく読みやすかった。

筆者の作品を読み解くための解説集っぽかった。夏目漱石のような偉人級の作家にはこういった書がたくさんでているが、それを自分で書いちゃうところが面白いと思った。

 

筆者は、人間は対人関係ごとにいろいろな自分を持っているとし、それら1つ1つを「分人」と定義している。分人化する相手は人以外の本や音楽などもあり得ると言う。

人は複数の「分人」をもつ。「分人」ごとの比率は一定ではなく、自分への影響が強い人(あるいは影響を強く受けたいと思う人)の「分人」の比率は高くなる。勿論、変化する。

更に、「分人」はお互いに影響しあう。それは意識的な場合もあれば無意識な場合もある。そして、自分の持っている「分人」が形成するのが個性だと言う。10年前の私と今の私が違うのは、持っている「分人」が違うからということになる。

 

dividualism.k-hirano.com

 

 

【印象に残った記述と感想 など】

 私たちは、尊敬する人の中に、自分のためだけの人格を認めると、うれしくなる。他の人とは違った接し方をしてくれることに甚く(いたく)感動するものだ。

 ロボットと人間の最大の違いは、ロボットはーーー今のところーーー分人化できない点である。もし、相手次第で性格まで変わるロボットが登場すれば、私たちはそれを、より人間に近いと感じるだろう。

 

前半は同意。後半のロボットの話はどうなんだろう。ロボットのくせに!と思うのではないか。そもそも、人間がやっていることを見て人付き合いを学習するロボット(AI)はできるんだろうか。

そうか、そういうロボットが求められる時代になれば、「ロボットのくせに!」は問題発言になるだろう。

 

 

 引きこもりには、対人関係を遮断することで、「消したい分人」を消滅させる一面がある。実際、後に触れるように、出家は、社会的な分人を抹消して、宗教的分人のみを生きるために必要な手続きだ。

 しかし、いったん引きこもってしまうと、新しい他者との出会いがなくなり、今抱えている他者との分人も更新の機会を失ってしまう。そのため、ただ過去の分人しか生きられなくなり、「変わる」ということがますます難しくなる。

 

唸る。辻褄があう。

 

 

 愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、前章の最後に述べた、他者を経由した自己肯定の状態である。

 なぜ人は、ある人とは長く一緒にいたいと願い、別の人とはあまり会いたくないと思うのだろう?相手が好きだったり、嫌いだったりするからか?それもあるだろう。しかし、実際は、その相手といるときの自分(=分人)が好きか、嫌いか、と言うことが大きい。

 

今付き合っている相手が、本当に好きなのかどうか、わからなくなった時には、逆にこう考えてみるべきである。その人と一緒にいるときの自分が好きかどうか?それで自ずと答えは出るだろう。

 

「その人と一緒にいるときの自分が好きかどうか」という話は聞いたことがあるように思う。間違ってはいないと思うけれど、「相手が好きかどうか」という話を「自分が好きかどうか」に置き換えるところにモヤモヤしていた。でも、「分人」の定義から積み上げていくとうまく説明がつく。唸る。